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きょうの郷土料理(4)
三角ちまき・笹団子(新潟県)
「所変われば品変わる」は、笹巻きちまきにもいえる。山形県民は三角形のちまき(例外的に拳形、竹の子形もある)を「笹巻き」と呼ぶが、新潟ではずばり「三角ちまき」と言うのだ。もっとも新潟でも上越の糸魚川をわたると三角ちまきは見られない。
ともあれ山形の笹巻きは修験道の聖地である出羽三山の一つ、羽黒山で始まったようで、修験者たちが携帯するうちに各地へ伝播したらしい。その過程で呼称にもお国ぶりが生まれたのだろう。
そういえば二十年ほど前、福島県中通りの南に位置する西白河郡西郷村で、農家の主婦から山形のものによく似た笹巻きを頂戴したことがある。まるで民芸品のような見事な出来ばえで、きな粉で食べるのも山形と同じ。
この奥さんは福島北部・伊達出身の近所の高齢女性に教わったそうで、「こんな素敵な食べものは後世に伝える義務があると思って、必死に覚えたんです」と話してくれた。こういう志によって日本中の郷土料理は続いてきたのである。
そういえば、伊達は山形県境に近いから笹巻きが伝わっていても不思議はない。ただし呼称は「ちまき」で定着したらしく、白河でも「ちまき」と言っていた。それなのに、新潟ではなぜかまったく同種のちまきが三角ちまきと呼ばれる。狭い日本なのに、まして県境を接しているのに、言語感覚が違うのが興味深い。わたしは新潟県民は直截的な表現好きなのかと推察している。
そこで三角ちまきの話に移ると、これが中越の三条市下田地区では笹団子の兄貴分だと最近知った。笹団子とは緑色の餅を笹で巻いたあの新潟名物で、下田では三角ちまきと笹団子が共存共栄しているのである。
下田は、上越新幹線・燕三条駅から国道289号線を山岳部へ車で一時間ほどのところ。さらに進むと昔は六十里越えと呼ばれた険しい峠道にかかり、これを越せば福島の秘境・只見へ至る。余談だがこの289号線は南会津を経て前述の白河の西郷村へ通じている。ちまきつながりの奇縁だ。もっとも往時の修験者たちが迂回路を通るわけもなく庄内からストレートに南下して越後へ伝えたに違いない。
とりわけ下田は山には笹が生い茂って笹には不自由しないし、棚田の糯米もあったから、三角ちまきが定着したのは自然の成り行き。また古墳時代に当地を開発したとされる五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)を祀る五十嵐神社があるなどで神事をきっちり行う土地柄なのも三角ちまきと、その応用で生まれた笹団子が定着した基盤があったと思われる。
なお、三角ちまきを男ちまき、笹団子を女ちまきに見立てて、節句のときは対でつくる習わしになったという説もささやかれるほど、下田では両者は密な関係なのだ。
また、笹団子が笹巻きバリエーション説を裏付ける話は古い呼称からも推察できる。三角ちまきを「ふしづまき」、笹団子を「横づまき」と呼んでいたのだ。当年92歳の地域の女性によると、「“ふし”は三角の意味で、“づまき”はちまきの訛ったもの。また笹団子は団子を横長の俵形にして巻くから横ちまきで、訛って“横づまき”になった」ということだ。
そこで製法だが、三角ちまきは山形のと同じ。笹をじょうご形に巻いて、糯米を詰め、もう一枚の笹で蓋をして三角に形を整え、すげで縛り、たっぷりの湯で茹でるというもの。
一方、笹団子はまったく違う。糯米そのままではなく糯米を粉に挽いた餅粉を使う。そして茹でておいた蓬を加えて草餅にし、これにあんこなどを詰めてから笹で巻くのがスタンダードである。
ところが下田は蓬を使わずにヤマゴボウの葉、方言で「ごんぼっぱ」という山の野草を用いるのが特徴。というのも山間部の下田は春が遅く、笹の若葉がちまきや団子にちょうどいいサイズに育つのは、六月の半ば過ぎとなる。その頃には田植えが済んで、その骨休めのさなぶりがあるから、三角ちまきや笹団子は盛んにつくられた。喜ばれた。ところが唯一、問題があった。この頃には蓬が育ち過ぎて硬くなり、餅の風味付けには使いものにならないのだ。
そこで山に生えているごんぼっぱが浮上する。学名オヤマボクチというキク科多年草植物の葉は、繊維質豊富で、つるつる感を出すのに最適で、かろやかな日なたの匂いも好ましい。つまり、つなぎにうってつけな素材で、奥信濃・飯山ではそば、茨城・奥久慈や福島・矢祭周辺では凍み餅に使われる。それを下田では餅粉に練り込んで淡い緑の団子に仕立てたのである。
こんなごんぼっぱ笹団子を世に知らしめたのが「ふーど工房ゆうこ」主宰の五十嵐祐子さん。生粋の下田っ子で、子育てを済ませた十年前、子供のときから食べ親しみ、腕に覚えのある笹団子で起業した。食を手がかりにして自立と地域起こしを目指す農村女性活動の下田モデルだ。
ちなみに五十嵐さんは三角ちまきもつくれるが営業品目には入れてない。地元の先輩女性グループが既に三角ちまきの製造販売を成させていたので、手つかずだった笹団子に的を絞ったのだ。
それだけに団子の中身は定番の粒あんのほか、こしあん、さつま芋あん、抹茶あん、甘味噌、きんぴらごぼうと甘辛揃え、材料は極力、地産のものにした。わたしはその当時に訪ねたことがあるが、一口、食べて、つるりぶにょぷにょと心地よい弾力感があり、山の息吹きを感じさせるおいしさに、たまげた。五十嵐さんの口癖を真似れば、「うんめえー」の一言なのだ。
なおそのとき教わった食べ方は今も大切にしている。縦に持ち、三枚の笹をバナナの皮のようにむいて団子の上三分の二を裸にすると、口に入れやすいのだ。
その後、五十嵐さんは大病したが、手術を乗り越え、現在は後継者の息子さんと二人だけで笹団子をつくっている。病を機にビジネスを縮小し、そのぶん下田ならではの笹団子の本物を生み出すことにいのちを燃やしているのだ。その日の分はその日の朝につくって、蒸したてを売るのだ。そのため、常連客はみな前に増して「うんめえー」の声が大きくなってしまうのだ。
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コロナ禍は一段落ですね。でも、油断は禁物です!
今月の『ラジオ深夜便』も3回目になりました。
5月放送分は───「ニッポンめん文化」特集。各地の郷土料理になっているめん類をご紹介します。
今週は3週連続の3回目で、水曜日の深夜(暦の上では木曜日)に放送されます。
テーマは越前おろしそば。福井の伝統郷土料理で、大根おろしと鰹節、ねぎというシンプルの極みなのに、味は奥深い──不思議に魅力的なおそばで、もちろん福井人のソウルフードです。
いつも夜遅くですみませんが、どうぞお聞きになってください。
●5月27日(暦の上では28日)夜中12時30分ごろ
「山の恵みが光る味、越前おろしそば」
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きょうの郷土料理( 3)
笹巻き(島根県)・三角ちまき(新潟県)・笹巻き(山形県)
京都のちまきは京文化として商品化されているが、山陰・出雲のちまきは野趣に富んでいて、旧暦端午の節句の頃にはわずかながら家庭でつくられている。笹の葉が以前のようにとれなくなり、技術を心得た女性が高齢化するにつれて減少気味だが、若い世代が「食べる民芸」ととらえ直して、次代へ伝えてほしいものだ。
出雲のちまきは笹巻きと呼ばれ、笹の葉五枚を使うかんざし巻きという手法。もち粉生地(上新粉入りも)の団子を平たくし、一本の笹の茎に突き刺してから笹の葉四枚で巻いて茹でる。きな粉や砂糖を付けて食べるのは、あく巻きと同じだ。きな粉は味覚的にもよく合ううえ、原料の大豆は必須アミノ酸のリジンを補ってくれる。栄養学的にも理にかなっているのだ。
一方、東日本のちまきは主に日本海側に見られ、形は三角が多い。新潟ではその名もずばり三角ちまきという。ところが、山形に入ると名称が笹巻きと変わる。ここも三角形が多数派だが、庄内には拳(こぶし)形、竹の子形もあり、どれも旧暦端午の節句の頃につくられる。出羽三山の山伏が携帯食にし、行く先々で伝えたという伝説も頷けるほど、県内のどの地方でも盛んである。
巻き方は、笹の葉でじょうごを形どり、洗った糯米を詰め、もう一枚の笹を表に重ねながら三角に整えて藺草で縛る──というもの。子供の頃から慣れていなければ、とうてい身に付かない技だ。山形の女性は、家族や郷土への大きな愛を、笹巻きの小さな三角形の中に込めるのである。
山形の笹巻きの加熱法は二種ある。一つは鶴岡など庄内に多い灰汁煮で、木灰を溶かした湯で煮る。そう、前回のあく巻きと同じで、灰汁の強アルカリ性が糯米を餅状に変えるとともに、黄色く染め上げる。あく巻きは竹皮の色が滲み出るために茶褐色になるが、笹巻きの方は笹の葉で巻くから色味もライトな黄色で、笹の緑によく映える。コクがあっておだやかな風味は、芯の強さを秘めたやさしさの山形女性そのもの。これにもきな粉や砂糖がよく合う。
庄内に負けず劣らず笹巻きに熱いのは村山地方。最上川上流域で、山形市を含む県中央部に位置する。紅花交易などを通じて昔から文化交流が盛んで、芋煮発祥地でもあり、味噌、漬物など料理の腕に覚えがある農家女性が食品加工所や古民家レスランを営む例も多い。
谷地(やち)の雛市で知られる河北町の「楽舎(らくや)」店主・今田みち子さんもその一人。笹巻きはお姑さんに仕込まれたもので、この地方では塩入りの湯で茹でるのが定法。東京・三軒茶屋にある河北町のアンテナショップにも出すほどの人気商品だ。
研いで最低四時間は水に浸けた糯米を1個あて25グラムほど笹の葉に詰め、巻いて、まず20分、裏返して20分、計40分煮る。と、笹葉の中で糯米が膨張して米粒同士がくっ付き、もちもちしたおこわになる。
この笹巻きは定番のきな粉や砂糖で食べるといい。きな粉は山形県産の「秘伝」大豆の自家製で、大豆をオーブンで少し焼いてから、粉に挽いているので、香ばしさがすばらしい。試してみたら、もちもちにねばねばが加わって、口の中が賑やかに華やぐ。往時のさなぶりにはこれでどぶろくを楽しんだのだろう。また、納豆をからませて食べるのも新鮮な味わいだ。
さて、今田さんは醤油と砂糖であまじょっぱくしたもち粉生地を中身にした「なた巻き」も得意で、こちらは四角形をしている。上面に山ぐるみを一粒載せてから笹の葉で包み、笹巻きと同様に茹でる。名称の由来は不明だそうだが、形が農具のなたの分厚い刃に似ているゆえの名ではないだろうか。
こちらは笹巻きよりさらに菓子っぽく、福島のゆべしに似ているし、岩手のきりざんしょうにも近い。と、各地の郷土料理を想い浮かべていたら、今田さんが驚きの発言。「この辺の西村山では笹巻きのバリエーションの感じだけど、北部の北村山では笹で巻かずに生地だけで大きくつくり、名前はくじら餅というの」
山形北部・新庄から青森の津軽地方で愛されているくじら餅にまでつながっているとは。ちまき、笹巻きの分布は奥が深い。
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きょうの郷土料理(2)
ちまき(京都府)
江戸時代の妖怪アマビエ(アマビコとも)が注目されている。農作物の出来や疫病を知らせる「予言獣」の一種で、その半人半獣の姿を見ると疫病が退散するという。一部の妖怪好きだけに知られていたのだが、今回の新型コロナウィルスで一気に知れ渡ったのである。可愛らしくアレンジされた人形を筆頭に数々の癒しグッズがつくられ、ボディに大きくイラストを描いたトラックまで出現するほど。一方では、アマビエの図柄の金太郎飴、アマビエの絵入りの煎餅、形がそっくりの上生の練りきりなど、キャラクター・フードも話題になっている。いつの世も人は何かに願いを託さなくてはいられないのだ。
そこで「ちまき」である。前回取り上げたあく巻きを始め、竹皮や笹の葉で糯米(もちごめ)やもち粉の団子を包んだ軽食・菓子の場合も、そもそもは邪気払いから始まっている。
始まりは二千年以上前の古代中国・楚でのこと。政治家にして憂国の詩人だった屈原(くつげん)は政争に巻き込まれ、失意のうちに川に身投げしてしまう。その死を悼んだ民衆は、供養のために命日の五月五日に竹筒に詰めた米を川に投じた。すると、川に棲む龍がぱくり。そこで、次からは龍が苦手な植物の葉で包んで、龍を退散させたという。
葉は香りの強い笹に変わり、米は糯米を蒸したちまきとなり、邪気払いの食に転じた。現代でも屈原ゆかりの川辺では旧暦5月5日にちまきを投じる風習が続いていて、先日はNHKテレビのドキュメンタリー番組で取材していた。ちまきづくりの光景を見て驚いたのは、その形状が山形県の笹巻きにそっくりなこと。ちまきの道は古代中国から現代の山形まで通じていた!
それにしても、中国のちまきといえば肉入りのボリューミーなものが普通なのに、発祥地の行事ではシンプルに糯米だけを笹に三角に包んでいた。米には霊力があると信じられていたし、笹も同様だった。笹には安息香酸とフェノールという抗菌性に富む成分が含まれているが、食品の保存に効果があることを当時の人々が知るはずもなく、精霊崇拝と経験知から笹のパワーを敬っていたのである。
その後、ちまきは、端午の節句の風習とセットで弥生時代の日本へ伝わり、もちもちねばねば食感を好む日本人の間で広まった。端午の節句は奈良時代以降は公式化されたし、その後、江戸時代の武家社会では男児の成長祈願の重要行事として重んじたから、ちまきは節句菓子として存在感を高めていく。その延長で現代まで季節の風物詩になっているのだ。
もう一つ、農村部では「さなぶり」用の行事食だったことを忘れてはいけない。旧暦端午の節句の頃は、ちょうど田植え後にあたり、集落をあげてさなぶりという慰労会をひらく習慣なのだ。つくり置きがきき、小腹満たしにいいちまきはぴったりだったのである。
この時季は笹の若葉がほどよく伸び、やわらかくて包みやすい。植物の成長と人間の都合が幸福な出会いをしたのだ。なお、孟宗竹が多い薩摩では、新竹の子を食べるとみごとな皮が残るから、ちまき、すなわちあく巻きが竹皮包みになったのだろう。
余談だが、清々しく、包材に使いやすい笹を日本人はちまき以外にもさまざまに活用してきた。笹団子、笹餅、笹ずし、笹飴など、どれも風情に富む。
笹の葉は、総称としてクマザサと呼ばれるが、細かく言えば品種はいろいろで、チマキザサというのもあるそうな。ちまき用にぴったりだったのだろう。
さて、ちまき本体の話に入ろう。ちまきといえば、わたしは京都のちまきを最初に連想する。祇園祭のときの疫病退散の縁起物だ。祇園祭は平安時代の疫病退散祈願の御霊会が始まりだから、まさしく屈原の故事にちなんでいる。
その後、戦国時代になるとたいそう美味なちまきが出現する。現代まで続く御粽司「川端道喜(かわばたどうき)」の水仙ちまきで、飾り物の場合と同じく細い竹の子状に笹で巻いてあり、笹の包みをひらくと、つるりぷるんとしたオパール色のゼリーがあらわれる。葛と砂糖と水だけで練り上げた葛菓子なのである。
もう一種、こしあん入りの黒い羊羹ちまきもあり、どちらも雅びの極み。京都では有名菓子屋が何軒も、ういろうや上新粉などで生地に特徴を出したちまきを販売していて、味はともあれ、どれも細竹の子状で、北山の笹で巻いている。
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もう一頑張りして、コロナ禍を乗り切りましょう!
今月も『ラジオ深夜便』に出演しています。
5月放送分は───「ニッポンめん文化」特集。各地の郷土料理になっているめん類をご紹介します。
今週は3週連続のうち2回目で、水曜日の深夜(暦の上では木曜日)に放送されます。
夜遅くですみませんが、どうぞお聞きになってください。
●5月20日(暦の上では21日)夜中12時30分ごろ
「縫い針の穴に通る!ごく細南関そうめん」
●5月27日(暦の上では28日)夜中12時30分ごろ
「山の恵みが光る味、越前おろしそば」
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5月18日の読売新聞の「読売俳壇」で、拙著『おいしい俳句』(本阿弥書店)が紹介されました。
俳句が好きな方にとっても食べ物は新鮮なテーマですし、俳句に馴染みのない方にとっては、「食の俳句」はおいしさを目で味わいながら楽しめます。
この本では、俳句とともに食材や郷土料理についても説明していますので、ぜひお手にとってください。
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コロナ禍を乗り切りましょう! もう一頑張りです!
今年度も『ラジオ深夜便』に出演しています。
5月放送分は───「ニッポンめん文化」特集。各地の郷土料理になっているめん類をご紹介します。
13日から3週連続で木曜日の深夜(暦の上では金曜日)に放送されます。
夜遅くですみませんが、どうぞお聞きになってください。
●5月13日(暦の上では14日)夜中12時30分ごろ
「あっつあつ地獄炊きの五島うどん」
●5月20日(暦の上では21日)夜中12時30分ごろ
「縫い針の穴に通る!ごく細南関そうめん」
●5月27日(暦の上では28日)夜中12時30分ごろ
「山の恵みが光る味、越前おろしそば」
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俳句エッセー『おいしい俳句』を上梓したことは、すでに皆様にご報告していますが、この本を読んでくれた白井千賀子さんから、うれしい絵手紙をいただきました。
わたしの俳句のなかから、その時季にぴったりの句を選び、素敵な絵を添えて、世界で一枚だけの絵手紙をつくってくださったのです。
白井さんは学生時代からの友人。可愛くて、あたたかい絵を見るたびに、人の“こころ”のあたたかさに、じんっとなります。
仕事をしてきてよかった! 俳句をつくっていてよかった!
友達がいてよかった!
千賀子さん、どうもありがとうございました!
アスパラの滴り甘し朝の畑 千恵子
北越の水と光や水菜生る 千恵子
富士背負って桜えび干す翁かな 千恵子
玉葱の野面いちめん土香る 千恵子
醤油豆ゆで蚕豆や四国道 千恵子
ほんとうにうれしい絵手紙でした!
「旬の菜事記」、旬の一品, お知らせ!最新“耳より”情報 »
続々・旬の菜事記(1)
蛍烏賊(ほたるいか)
今年は三月初めのいわゆる走りの時季に食べた蛍烏賊がすばらしく、以来、このちっちゃな烏賊が気になってしかたない。
といっても三月に産地まで出かけたわけではなく、渋谷のデパ地下でボイルしたものを見つけ、ぷりっぷりのプチグラマラスな姿形にくらっとなって買ったのだ。これが大当たり。定番の酢味噌で味わうと、ゴム毬のような弾力があるのに歯切れがよく、それでいて、もちっとして肝のうま味がじわじわ追いかけてくる。石灰質の黒い目玉が歯にこちっと当たるまでしばらく陶然となってしまった。それにしても、目の前で浜茹でされたかのような鮮度にびっくり。流通技術の発達はすばらしい。
もっとも、この味が忘れられなくて一週間後に同じ店でまた買ったけれど、最初の感動はなかった。産地も同じ日本海産だったが、食感もうま味もなにか違う。蛍烏賊も「一食一会」だとあらためて思ったことだった。
花の後はやも賜はる蛍いか 角川源義
蛍烏賊の旬は、角川書店(現KADOKAWA)創業者で俳人だった角川源義が的確に詠んでいる。花とは俳句では桜の意味で、つまり桜前線が去ると蛍烏賊が盛んに水揚げされるようになり、進物にされるということだ。蛍烏賊の特産地である富山県出身の源義の家へは、とびきりの蛍烏賊が届いたはずだ。
生態的には、このホタルイカモドキ科の小粒なイカは、春に生まれ、翌年の春に産卵してそのまま生を終える。日本海一帯のほか、太平洋側の駿河湾や相模湾にも棲息し、足やお腹に約千個の発光器を持つのが蛍烏賊というリリカルな名の由来。青白く発光する様子が蛍そっくりなのだ。
しかし、歳時記には異名は「まついか」とある。不思議だったが、俳人の蟇目良雨さんの『平成食の歳時記』の記述で合点納得した。このイカは小粒だけに鮮度落ちがはなはだしいのだが、大量に獲れても産地消費しかできなかった昔には、始末に困って、松の木の肥やしにしたらしい。それで「まついか」と名が付いた次第。松のイカという風雅な呼称とは裏腹の現実があったのだ。それを思うと、釜茹でのいわゆるボイル、干物、燻製、缶詰、沖漬け、生の海水パック詰めと、選り取り見取りで蛍烏賊を味わえるわれわれは幸福だ。
掌にのせてつくづく蛍烏賊を見る 高木晴子
高木さんの句のとおり、蛍烏賊には誰をも「さかなクン」にしてしまう魅力がある。形態を観察せずにはいられないのだ。実際、全長七~八センチ、重さ十グラム足らずなのに、足、頭、目玉、えんぺら付きの胴を備えていて、茹でると、ローズピンクと白の二色になる。新鮮なものは足とえんぺらがくるくるっと丸まって愛らしい。
ところが、この烏賊の最大の特徴である発光器は、生きているときにしか見られない。そのため、富山湾では、深夜、産卵で水深六百メートルからひそやかに浮上してくる蛍烏賊を見るために、観光客が押し寄せる。いちばんの名所である富山市近郊の滑川にはホタルイカ・ミュージアムがあり、本物を見られない見物客のために発光ライブショーまで行われている。
蛍烏賊ひかりつくせしいのちかな 棚山波朗
小さなイカが光り輝く光景は、神秘的だが、もの悲しくもある。卵を産むために一波、二波、三波と順繰りに浜に押し寄せるので、青白い光のラインが二連、三連になって波打ち際にちろちろと連なる。とても現世とは思えない。地元で「身投げ」と称するのは、残酷な事実をずばり表現しているのだ。
龍宮のうたかたの灯よ蛍烏賊 蟇目良雨
蛍烏賊の漁期は、富山では三月から六月まで、兵庫は一月下旬から五月までと、県ごとに多少異なる。
「越前町はかにが終わってから! つまり三月二十日から五月いっぱいが蛍烏賊漁よ」
と、教えてくれたのは、福井県越前町の山下義弘さん。県内随一の越前がに水揚げ港・越前漁港所属の幹昌丸(九・九トン)のオーナー漁師。ちなみにここ越前海岸は崖の急斜面の先がすぐ海で、しかも沖に向かって百メートル、二百メートル……と階段状にぐんぐん深くなっている。そのため潮が通りやすくて餌が豊富だから、うまいかにが獲れるのだ。
わたしは越前がれい(赤がれい)の活け締めを取材して以来、山下さんと交流させていただいている。それに、この方、漁だけでなく料理にも一家言あり、とりわけ地元では蛍烏賊の沖漬け名人の定評があって、友達からひっぱりだこの人気。自分で捕らえた蛍烏賊を漬けるということは、すなわち越前町も蛍烏賊漁が盛んということである。
蛍烏賊漁は夜明け前の四時に出て、夕方四~五時に戻る。蛍烏賊が水深約二百メートルにいる頃合いを見計らって底引き漁でとるのだ。別の漁法もあり、そちらは明け方に定置網で行う。ゴム手袋の手で蛍烏賊をすくうと、蛍光が指先に残ってラメのように輝くとか。
蛍烏賊待つ間星座を読み尽くす 反方水火
沖漬けは文字通り沖の船の上で漬け込む。当然、蛍烏賊は生きているから、足や胴は透明で、海老茶色の内臓が透けて見える。それを醤油の中に次々に投げ入れていくのだ。
醤油に移されたとたん、元気ものはちゅんちゅんと鳴くは跳ねるはの大騒ぎ。それが、醤油に浸されてしばらくすると、しーんと静まる。沖漬けとは蛍烏賊の命そのものを味わう食べかたなのである。
なお、山下さんは、地元の醤油蔵元の濃口醤油にみりんを少々混ぜて用いる。まろやかにするためだが、甘めの地元醤油にみりんが入ってけっこう甘口の汁なのに、漬け上がりはちょうどいい。さすが名人だ。
隻眼の勇者も居りし蛍烏賊 千恵子
さて、港に帰ったら、沖漬けを容器ごと冷蔵庫で一晩寝かし、味を馴染ませたら出来上がり。ちなみに、越前町では蛍烏賊の踊食いはもちろんのこと、生を刺身で食べることもしない。乾きにくいからと蛍烏賊をのした干物もつくらない。この土地では、ボイルと沖漬けだけが親しまれているのだ。
わたしは山下さんから冷凍した沖漬けを送ってもらう。解凍すると、ポリ容器の中でチビ烏賊たちが可愛らしく並んで眠っている。しばらく見とれた後、小鉢にとってそっと口に運ぶと、ねっとりしんなり、そして、ほの甘い醤油味。思わず目をつむると、越前海岸の大きな潮騒が耳によみがえる。
沖漬けの薬味はおろしわさびかおろし生姜を気分で使い分けるが、一味唐辛子もわるくない。そうそう、沖漬けを茶碗蒸しに入れたり、吸い物椀の種にするのも楽しい。贅沢ながらチャーハンという隠し技もおすすめだ。意外なことに春巻にもいい。刻んだふきのとう、茹でビーフンと沖漬けを春巻の皮に包んで揚げるだけ。濃いピンク、浅緑、白の三色の切り口が美しく、烏賊のうま味とふきのとうの苦味が重なって、春の海山が口中に広がる。
蛍烏賊渚に寄する希望の灯 千恵子
●俳句雑誌『俳壇』や俳句結社の会員誌『繪硝子』で連載した「旬の菜事記」をホームページで再開しました。
なお、今までに発表した文章は『食べる俳句』『おいしい俳句』(ともに本阿弥書店)として刊行しています。ぜひご覧ください。
●文中で引用の俳句は作者の表記に準じました。
●ここまでお読みくださり、ありがとうございました。随時、掲載してまいります。お便りをお待ちしています。
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みんな一緒にコロナ禍を乗り切りましょう!
今年度も『ラジオ深夜便』に出演します。
5月、9月、21年1月に集中放送する予定で、夜中の時間帯ですが、ぜひお聞きくださいますようお願いいたします。
5月放送分は───「ニッポンめん文化」特集です。
●5月13日(暦の上では14日)夜中12時30分ごろ
「あっつあつ地獄炊きの五島うどん」
●5月20日(暦の上では21日)夜中12時30分ごろ
「縫い針の穴に通る!ごく細南関そうめん」
●5月27日(暦の上では28日)夜中12時30分ごろ
「山の恵みが光る味、越前おろしそば」
それぞれ郷土料理として地元で愛されている逸品です。
さらに、これを目当てに産地をたずねる旅に出てもいいくらいで、現地でいただく味はまた格別です。
どうぞお楽しみに!