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俳句エッセー「続々・旬の菜事記」(1)蛍烏賊(ほたるいか)
2020 年 4 月 26 日
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続々・旬の菜事記(1)
蛍烏賊(ほたるいか)
今年は三月初めのいわゆる走りの時季に食べた蛍烏賊がすばらしく、以来、このちっちゃな烏賊が気になってしかたない。
といっても三月に産地まで出かけたわけではなく、渋谷のデパ地下でボイルしたものを見つけ、ぷりっぷりのプチグラマラスな姿形にくらっとなって買ったのだ。これが大当たり。定番の酢味噌で味わうと、ゴム毬のような弾力があるのに歯切れがよく、それでいて、もちっとして肝のうま味がじわじわ追いかけてくる。石灰質の黒い目玉が歯にこちっと当たるまでしばらく陶然となってしまった。それにしても、目の前で浜茹でされたかのような鮮度にびっくり。流通技術の発達はすばらしい。
もっとも、この味が忘れられなくて一週間後に同じ店でまた買ったけれど、最初の感動はなかった。産地も同じ日本海産だったが、食感もうま味もなにか違う。蛍烏賊も「一食一会」だとあらためて思ったことだった。
花の後はやも賜はる蛍いか 角川源義
蛍烏賊の旬は、角川書店(現KADOKAWA)創業者で俳人だった角川源義が的確に詠んでいる。花とは俳句では桜の意味で、つまり桜前線が去ると蛍烏賊が盛んに水揚げされるようになり、進物にされるということだ。蛍烏賊の特産地である富山県出身の源義の家へは、とびきりの蛍烏賊が届いたはずだ。
生態的には、このホタルイカモドキ科の小粒なイカは、春に生まれ、翌年の春に産卵してそのまま生を終える。日本海一帯のほか、太平洋側の駿河湾や相模湾にも棲息し、足やお腹に約千個の発光器を持つのが蛍烏賊というリリカルな名の由来。青白く発光する様子が蛍そっくりなのだ。
しかし、歳時記には異名は「まついか」とある。不思議だったが、俳人の蟇目良雨さんの『平成食の歳時記』の記述で合点納得した。このイカは小粒だけに鮮度落ちがはなはだしいのだが、大量に獲れても産地消費しかできなかった昔には、始末に困って、松の木の肥やしにしたらしい。それで「まついか」と名が付いた次第。松のイカという風雅な呼称とは裏腹の現実があったのだ。それを思うと、釜茹でのいわゆるボイル、干物、燻製、缶詰、沖漬け、生の海水パック詰めと、選り取り見取りで蛍烏賊を味わえるわれわれは幸福だ。
掌にのせてつくづく蛍烏賊を見る 高木晴子
高木さんの句のとおり、蛍烏賊には誰をも「さかなクン」にしてしまう魅力がある。形態を観察せずにはいられないのだ。実際、全長七~八センチ、重さ十グラム足らずなのに、足、頭、目玉、えんぺら付きの胴を備えていて、茹でると、ローズピンクと白の二色になる。新鮮なものは足とえんぺらがくるくるっと丸まって愛らしい。
ところが、この烏賊の最大の特徴である発光器は、生きているときにしか見られない。そのため、富山湾では、深夜、産卵で水深六百メートルからひそやかに浮上してくる蛍烏賊を見るために、観光客が押し寄せる。いちばんの名所である富山市近郊の滑川にはホタルイカ・ミュージアムがあり、本物を見られない見物客のために発光ライブショーまで行われている。
蛍烏賊ひかりつくせしいのちかな 棚山波朗
小さなイカが光り輝く光景は、神秘的だが、もの悲しくもある。卵を産むために一波、二波、三波と順繰りに浜に押し寄せるので、青白い光のラインが二連、三連になって波打ち際にちろちろと連なる。とても現世とは思えない。地元で「身投げ」と称するのは、残酷な事実をずばり表現しているのだ。
龍宮のうたかたの灯よ蛍烏賊 蟇目良雨
蛍烏賊の漁期は、富山では三月から六月まで、兵庫は一月下旬から五月までと、県ごとに多少異なる。
「越前町はかにが終わってから! つまり三月二十日から五月いっぱいが蛍烏賊漁よ」
と、教えてくれたのは、福井県越前町の山下義弘さん。県内随一の越前がに水揚げ港・越前漁港所属の幹昌丸(九・九トン)のオーナー漁師。ちなみにここ越前海岸は崖の急斜面の先がすぐ海で、しかも沖に向かって百メートル、二百メートル……と階段状にぐんぐん深くなっている。そのため潮が通りやすくて餌が豊富だから、うまいかにが獲れるのだ。
わたしは越前がれい(赤がれい)の活け締めを取材して以来、山下さんと交流させていただいている。それに、この方、漁だけでなく料理にも一家言あり、とりわけ地元では蛍烏賊の沖漬け名人の定評があって、友達からひっぱりだこの人気。自分で捕らえた蛍烏賊を漬けるということは、すなわち越前町も蛍烏賊漁が盛んということである。
蛍烏賊漁は夜明け前の四時に出て、夕方四~五時に戻る。蛍烏賊が水深約二百メートルにいる頃合いを見計らって底引き漁でとるのだ。別の漁法もあり、そちらは明け方に定置網で行う。ゴム手袋の手で蛍烏賊をすくうと、蛍光が指先に残ってラメのように輝くとか。
蛍烏賊待つ間星座を読み尽くす 反方水火
沖漬けは文字通り沖の船の上で漬け込む。当然、蛍烏賊は生きているから、足や胴は透明で、海老茶色の内臓が透けて見える。それを醤油の中に次々に投げ入れていくのだ。
醤油に移されたとたん、元気ものはちゅんちゅんと鳴くは跳ねるはの大騒ぎ。それが、醤油に浸されてしばらくすると、しーんと静まる。沖漬けとは蛍烏賊の命そのものを味わう食べかたなのである。
なお、山下さんは、地元の醤油蔵元の濃口醤油にみりんを少々混ぜて用いる。まろやかにするためだが、甘めの地元醤油にみりんが入ってけっこう甘口の汁なのに、漬け上がりはちょうどいい。さすが名人だ。
隻眼の勇者も居りし蛍烏賊 千恵子
さて、港に帰ったら、沖漬けを容器ごと冷蔵庫で一晩寝かし、味を馴染ませたら出来上がり。ちなみに、越前町では蛍烏賊の踊食いはもちろんのこと、生を刺身で食べることもしない。乾きにくいからと蛍烏賊をのした干物もつくらない。この土地では、ボイルと沖漬けだけが親しまれているのだ。
わたしは山下さんから冷凍した沖漬けを送ってもらう。解凍すると、ポリ容器の中でチビ烏賊たちが可愛らしく並んで眠っている。しばらく見とれた後、小鉢にとってそっと口に運ぶと、ねっとりしんなり、そして、ほの甘い醤油味。思わず目をつむると、越前海岸の大きな潮騒が耳によみがえる。
沖漬けの薬味はおろしわさびかおろし生姜を気分で使い分けるが、一味唐辛子もわるくない。そうそう、沖漬けを茶碗蒸しに入れたり、吸い物椀の種にするのも楽しい。贅沢ながらチャーハンという隠し技もおすすめだ。意外なことに春巻にもいい。刻んだふきのとう、茹でビーフンと沖漬けを春巻の皮に包んで揚げるだけ。濃いピンク、浅緑、白の三色の切り口が美しく、烏賊のうま味とふきのとうの苦味が重なって、春の海山が口中に広がる。
蛍烏賊渚に寄する希望の灯 千恵子
●俳句雑誌『俳壇』や俳句結社の会員誌『繪硝子』で連載した「旬の菜事記」をホームページで再開しました。
なお、今までに発表した文章は『食べる俳句』『おいしい俳句』(ともに本阿弥書店)として刊行しています。ぜひご覧ください。
●文中で引用の俳句は作者の表記に準じました。
●ここまでお読みくださり、ありがとうございました。随時、掲載してまいります。お便りをお待ちしています。
3月から日本海 駿河湾 相模湾に現れる蛍烏賊。青白く発光し その光景は幻想的。茹で上がるとピンクと白になり青から変化する。蛍烏賊の沖漬けは文字通り船上で醤油とみりんを混ぜた液に浸す作業。名前からして蛍のように光輝き 海上に浮かぶ発光の技。句に詠まれるに値する。
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