きょうの郷土料理⑷三角ちまき・笹団子(新潟県)
きょうの郷土料理(4)
三角ちまき・笹団子(新潟県)
「所変われば品変わる」は、笹巻きちまきにもいえる。山形県民は三角形のちまき(例外的に拳形、竹の子形もある)を「笹巻き」と呼ぶが、新潟ではずばり「三角ちまき」と言うのだ。もっとも新潟でも上越の糸魚川をわたると三角ちまきは見られない。
ともあれ山形の笹巻きは修験道の聖地である出羽三山の一つ、羽黒山で始まったようで、修験者たちが携帯するうちに各地へ伝播したらしい。その過程で呼称にもお国ぶりが生まれたのだろう。
そういえば二十年ほど前、福島県中通りの南に位置する西白河郡西郷村で、農家の主婦から山形のものによく似た笹巻きを頂戴したことがある。まるで民芸品のような見事な出来ばえで、きな粉で食べるのも山形と同じ。
この奥さんは福島北部・伊達出身の近所の高齢女性に教わったそうで、「こんな素敵な食べものは後世に伝える義務があると思って、必死に覚えたんです」と話してくれた。こういう志によって日本中の郷土料理は続いてきたのである。
そういえば、伊達は山形県境に近いから笹巻きが伝わっていても不思議はない。ただし呼称は「ちまき」で定着したらしく、白河でも「ちまき」と言っていた。それなのに、新潟ではなぜかまったく同種のちまきが三角ちまきと呼ばれる。狭い日本なのに、まして県境を接しているのに、言語感覚が違うのが興味深い。わたしは新潟県民は直截的な表現好きなのかと推察している。
そこで三角ちまきの話に移ると、これが中越の三条市下田地区では笹団子の兄貴分だと最近知った。笹団子とは緑色の餅を笹で巻いたあの新潟名物で、下田では三角ちまきと笹団子が共存共栄しているのである。
下田は、上越新幹線・燕三条駅から国道289号線を山岳部へ車で一時間ほどのところ。さらに進むと昔は六十里越えと呼ばれた険しい峠道にかかり、これを越せば福島の秘境・只見へ至る。余談だがこの289号線は南会津を経て前述の白河の西郷村へ通じている。ちまきつながりの奇縁だ。もっとも往時の修験者たちが迂回路を通るわけもなく庄内からストレートに南下して越後へ伝えたに違いない。
とりわけ下田は山には笹が生い茂って笹には不自由しないし、棚田の糯米もあったから、三角ちまきが定着したのは自然の成り行き。また古墳時代に当地を開発したとされる五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)を祀る五十嵐神社があるなどで神事をきっちり行う土地柄なのも三角ちまきと、その応用で生まれた笹団子が定着した基盤があったと思われる。
なお、三角ちまきを男ちまき、笹団子を女ちまきに見立てて、節句のときは対でつくる習わしになったという説もささやかれるほど、下田では両者は密な関係なのだ。
また、笹団子が笹巻きバリエーション説を裏付ける話は古い呼称からも推察できる。三角ちまきを「ふしづまき」、笹団子を「横づまき」と呼んでいたのだ。当年92歳の地域の女性によると、「“ふし”は三角の意味で、“づまき”はちまきの訛ったもの。また笹団子は団子を横長の俵形にして巻くから横ちまきで、訛って“横づまき”になった」ということだ。
そこで製法だが、三角ちまきは山形のと同じ。笹をじょうご形に巻いて、糯米を詰め、もう一枚の笹で蓋をして三角に形を整え、すげで縛り、たっぷりの湯で茹でるというもの。
一方、笹団子はまったく違う。糯米そのままではなく糯米を粉に挽いた餅粉を使う。そして茹でておいた蓬を加えて草餅にし、これにあんこなどを詰めてから笹で巻くのがスタンダードである。
ところが下田は蓬を使わずにヤマゴボウの葉、方言で「ごんぼっぱ」という山の野草を用いるのが特徴。というのも山間部の下田は春が遅く、笹の若葉がちまきや団子にちょうどいいサイズに育つのは、六月の半ば過ぎとなる。その頃には田植えが済んで、その骨休めのさなぶりがあるから、三角ちまきや笹団子は盛んにつくられた。喜ばれた。ところが唯一、問題があった。この頃には蓬が育ち過ぎて硬くなり、餅の風味付けには使いものにならないのだ。
そこで山に生えているごんぼっぱが浮上する。学名オヤマボクチというキク科多年草植物の葉は、繊維質豊富で、つるつる感を出すのに最適で、かろやかな日なたの匂いも好ましい。つまり、つなぎにうってつけな素材で、奥信濃・飯山ではそば、茨城・奥久慈や福島・矢祭周辺では凍み餅に使われる。それを下田では餅粉に練り込んで淡い緑の団子に仕立てたのである。
こんなごんぼっぱ笹団子を世に知らしめたのが「ふーど工房ゆうこ」主宰の五十嵐祐子さん。生粋の下田っ子で、子育てを済ませた十年前、子供のときから食べ親しみ、腕に覚えのある笹団子で起業した。食を手がかりにして自立と地域起こしを目指す農村女性活動の下田モデルだ。
ちなみに五十嵐さんは三角ちまきもつくれるが営業品目には入れてない。地元の先輩女性グループが既に三角ちまきの製造販売を成させていたので、手つかずだった笹団子に的を絞ったのだ。
それだけに団子の中身は定番の粒あんのほか、こしあん、さつま芋あん、抹茶あん、甘味噌、きんぴらごぼうと甘辛揃え、材料は極力、地産のものにした。わたしはその当時に訪ねたことがあるが、一口、食べて、つるりぶにょぷにょと心地よい弾力感があり、山の息吹きを感じさせるおいしさに、たまげた。五十嵐さんの口癖を真似れば、「うんめえー」の一言なのだ。
なおそのとき教わった食べ方は今も大切にしている。縦に持ち、三枚の笹をバナナの皮のようにむいて団子の上三分の二を裸にすると、口に入れやすいのだ。
その後、五十嵐さんは大病したが、手術を乗り越え、現在は後継者の息子さんと二人だけで笹団子をつくっている。病を機にビジネスを縮小し、そのぶん下田ならではの笹団子の本物を生み出すことにいのちを燃やしているのだ。その日の分はその日の朝につくって、蒸したてを売るのだ。そのため、常連客はみな前に増して「うんめえー」の声が大きくなってしまうのだ。
郷土料理 新潟県の笹団子を拝読しました。隣接する山形県 福島県 もそれぞれ姿形は 違っても ベースは糯米やら餅粉を使っている。これほど歴史ある郷土食も珍しいかもしれません。いかに日本の風土に合った食べ物かが伺えます。美味しい物は歴史と共に受け継がれ 現在に至っておりますね。
Leave your response!