5月18日の読売新聞の「読売俳壇」で、拙著『おいしい俳句』(本阿弥書店)が紹介されました。
俳句が好きな方にとっても食べ物は新鮮なテーマですし、俳句に馴染みのない方にとっては、「食の俳句」はおいしさを目で味わいながら楽しめます。
この本では、俳句とともに食材や郷土料理についても説明していますので、ぜひお手にとってください。
コロナ禍を乗り切りましょう! もう一頑張りです!
今年度も『ラジオ深夜便』に出演しています。
5月放送分は───「ニッポンめん文化」特集。各地の郷土料理になっているめん類をご紹介します。
13日から3週連続で木曜日の深夜(暦の上では金曜日)に放送されます。
夜遅くですみませんが、どうぞお聞きになってください。
●5月13日(暦の上では14日)夜中12時30分ごろ
「あっつあつ地獄炊きの五島うどん」
●5月20日(暦の上では21日)夜中12時30分ごろ
「縫い針の穴に通る!ごく細南関そうめん」
●5月27日(暦の上では28日)夜中12時30分ごろ
「山の恵みが光る味、越前おろしそば」
続々旬の菜事記(2)
桜鯛
コンビニでビールコーナーの扉を開いたら、エビスの恵比寿さまと眼が合った。キリンの麒麟も吉兆の象徴だけど、食い気一方のわたしは──ましてコロナ巣ごもり中の今だから、大きな鯛を抱えた恵比寿さまに断然、軍配を上げる。だいいちこの時季の鯛は色、姿、味の三拍子揃った桜鯛。春の季語として俳人たちが縦横に活用しているのはもちろんである。
それだけに、大相撲五月場所(残念!今年は中止!)の優勝力士が必ず持つ鯛は他の場所のそれに勝る。優勝だけでなく昇進にも鯛は付き物で、つい先日、大関になった朝乃山関が手にしていた鯛は、まごうことなき桜鯛。思わずテレビににじり寄ったほどに見事だった。
愛と正義の口上凛と桜鯛 倉橋 廣
倉橋さんの句は朝乃山が昇進で誓った文言を詠み込んだもの。愛と正義という大きな世界を受け止め、句として堂々と成立しているのは下の五文字に鯛、それも桜鯛を据えているからこそ。他の魚では到底真似できない技である。
ちなみに鯛と名乗る魚は世に200以上もある。しかしスズキ目タイ科に属するのは真鯛、黒鯛、血鯛などわずかなうえ、ただ鯛といえば真鯛を指すのが世の習い。桜鯛も真鯛の季節限定の異名だし、花見鯛も同義語である。補足だが、産卵を終えて体力回復のためもりもり食べて秋を迎えた鯛もうまく、名付けて紅葉鯛という。産地では認知された呼称だが、季語にはなっていないようだ。
さて、桜鯛の呼称は鯛の生態に拠る。産卵が近づくと、鯛はお腹の子のために餌をよく食べ、脂がのり、うま味が高まる。また、ホルモンの作用で体の色も赤みが増す。それがちょうど桜どきだから桜鯛になったのだ。
その様子がとりわけ著しいのが瀬戸内海で、産卵のために集まった群れは水面を押し上げ、あたかも小島のように見えることもあった。この現象が歳時記にある魚島で、鰆などの場合もあるらしいが、桜鯛がもっともふさわしい。
浮鯛も桜鯛がらみの季語。産卵で海面に上がってくると水温変化により鯛の浮き袋が膨れ、おのずと海面に浮上してしまう。その様をずばり表現したのが浮鯛なのだが、天然鯛が減っている現代では、魚島とともに漁師といえどもなかなか眼にできない光景のようである。
乗込鯛も春の季語。魚が産卵のために群れ集まることを乗っ込みというのに倣い、乗込鯛というのだ。付け加えると、鯛網も春の季語になっている。
桜鯛瀬戸海流に峡いくつ 鷹羽狩行
瀬戸内海ほど桜鯛の句に似合うところはない。東の淡路島から西の周防大島周辺まで大小の島が点在し、陸との間にたくさんの海峡がある。そして海流が渦巻く海峡では、鯛の運動量が多くなるために、ほどよくシェイプアップされて味がいい。そのことを鷹羽さんの句は的確にとらえている。
桜鯛明石大門の色変へる 天野麦秋子
淡路島は明石海峡、鳴門海峡の二つの海峡をかかえていて、どちらも甲乙つけがたい逸品鯛の産地。とくに明石海峡は鯛で名高い水揚げ港が多々ある。ご紹介しよう。
まず明石海峡大橋で結ばれた対岸、神戸・垂水港や明石港に揚がるのは“明石鯛”として知られる。かたや淡路島側には、橋のたもとに岩屋港があり、ここの鯛は“岩屋鯛”と呼ばれて大阪京都の料亭では別格扱いの美味な鯛とされている。
歴史的にも淡路島は鯛と深い縁がある。鯛の記述は『古事記』の海幸彦・山幸彦の話にあるが、同書の国生み神話も鯛に関わっている。こちらの話は、天から降り立ったイザナギノミコト、イザナミノミコトがまず淡路島を生んだことに始まる。誕生した第一子が蛭子神だが、不幸にもこの子は流されてしまい、明石海峡を渡って“西宮のえべっさん”こと西宮神社に遷座したというのだ。
やがて蛭子神は七福神の恵比寿さまに転生するのだが、そのお姿といえば、鯛と釣り竿を持って、にこにこの顔の恵比寿顔。つまり、故郷の淡路島で釣った鯛とそのときの釣り竿と解釈すれば、すんなり腑に落ちる。実際、淡路島には蛭子神を祀った岩屋神社や、イザナギノミコトの幽宮(かくりのみや)である伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)などがあって、島民の信仰が篤い。
あけぼのや糶待つ籠の桜鯛 杉崎月香
さて、明石海峡の鯛はなぜうまいのだろうか。第一は立地。海峡の潮流はまるで大河のように滔々と流れ、大潮のときは時速十三キロにもなる。そんな潮に揉まれるので、海底は岩礁、小石、砂地が入り組んでいる。そのため鯛には棲みやすいし、小海老などが多いから餌に困らない。その結果、体に脂がのる。また急流を泳ぐため引き締まっている。
そんな海峡で岩屋港の漁師は網を張る。船は五トンぐらいの小形船だが、舳先に仏壇のような豪華な飾りを施すのが流儀。金銀紅などの彩色をした彫刻を嵌め込んである。トラック野郎のデコトラの漁船版といったニュアンスで、日本各地の漁港を見てきたわたしもびっくり。さすが国生み神話の島にして、鯛がシンボルの恵比寿さまの故郷である。
船には漁師が一人か二人乗り込み、建網、五智網、底引き網を使い分ける。それぞれ、鯛が首を突っ込む、囲い込む、海底を引いて追い込むといった漁法である。
乗せてもらった日は底引き網で、船上に引き揚げた網の中には目の下一尺ほどの鯛十尾ほど。漁師はうろこ一枚もはがないないように丁寧に網からはずすと、肛門から針を刺して腹の空気を抜いた。海から揚げたときは気圧変化で浮き袋が膨らんでいるため、手当てが欠かせないのだ。この場面に遭遇し、わたしは浮鯛という季語を初めて実感したのである。
なお、漁師が言うには、「肩が張り、尾の付け根まで太い。眼は青いアイシャドウを塗ったようで、ぱっちり。これが岩屋鯛の特徴。すなわち、うまい鯛ということさ」とのこと。あらためてまじまじと鯛を見直したら、ほんとに眼がブルーに縁取られていて、体は漁師の言う通り全体に太かった。
濡れ笹に七彩あまる桜鯛 能村登四郎
競りは昼からで、木箱のなかで跳ねている鯛を囲んで仲買人たちが値を付け、競り落とすやいなや、若い衆が生け簀付きトラックで運び出す。中には競り場の後ろで一匹ずつ活け締めにする仲卸の魚屋もいる。
活け締めとは、頭に手鉤を打ち込んで即死させ、さらに鉄線を鯛の脊髄に差し込んで絶命させること。こうすると死後硬直が遅れて活きた状態が続き、十から十五時間後にはうま味の源のアミノ酸が増えてきて、身がほどよくやわらぐ。この状態のときにちょうど京都の料理屋に届けることを生業にする魚屋がいるぐらいで、鯛が評判の京阪の料理人は必ずこの手の腕利きの魚屋と契約している。
桜鯛かなしき眼玉くはれけり 川端茅舎
こまごまと白き歯並や桜鯛 川端茅舎
ただ、鯛っ食いたちの嗜好はさまざまだ。刺身の場合、食いしん坊は熟成されて味わいが増し、身がやわらかくなったものを好む傾向があり、わたしその一人。ところが、産地では鮮度第一で、こりこりした食感のものを提供することが多いので困ることがある。
でも、淡路島では悩まなかった。
「脂がしっかりのり、身が太った鯛しか仕入れないので、熟成前でも大丈夫」
と、胸を張る店が岩屋港脇にあったのだ。
お造りを注文したら期待にたがわずだった。飴色がかった色味といい、上品な甘味といい、みずみずしい口当たりといい、まことお見事な味。漁師だけでなく、腕利きの仲買人、板前の三つそれぞれのレベルが高いとは、やはり鯛の老舗産地だけのことはある。
小石を敷いた焙烙鍋(ほうろくなべ)で鯛を蒸し焼きにした宝楽焼きや、お造りに用いた残りの鯛の兜とアラを用いる土鍋ご飯もいい味で、ことに真子が弾けて醤油味のご飯にからんだうまさといったら、幸福感の極み。
鯛は兜に限っても魚の王様で、身がたっぷり付いていて、目玉まで極上の味。とろとろゼリーをしゃぶり尽くしてこそ真の鯛好きだとわたしは信じている。また、鯛には胸近くに鯛の形そっくりで「鯛の鯛」と呼ばれる骨があって、縁起物として好まれる。わたしもついつい探してしまう。
鯛の鯛ことに桜のめでたしや 千恵子
鯛はどこでも愛され、鯛の煮付けを茹でそうめんに載せる鯛そうめん、ご飯に炊き込んだ鯛めしなど、各地に名物が数々ある。鯛めしはとりわけ愛媛県民の好物で、地域別に二種類もある。瀬戸内に面した北条などの中予地方は炊き込みタイプの鯛めしなのだが、宇和島を中心とした南予ではそぎ切りを卵黄入り醤油だれに漬けてからあつあつご飯に載せ、みかん皮のみじん切り、海苔、ねぎなどを薬味にしてかっこむ。
また、宇和島ではアラ、骨も無駄にしない。鯛めしに使った残りを焼いてから身をこそげ、すり鉢であたり、麦味噌を加えてすり混ぜる。次にすり鉢ごと裏返して直火でやや焦がす。一方で骨を煮立ててだしをとっておき、先ほどのすり鉢の中に加えてすりのばし、醤油、みりんで味を調える。このすり身汁をご飯にかけ、きゅうりの薄切り、ねぎ、みかんの皮、青じそなどを散らしてすすりこむ。これは「伊予さつま」という郷土料理で、ここまで鯛をきっちり使いきり、五体に取り込むレシピをわたしは知らない。鯛も本望だろう。
なお、近年、宇和島ではみかんの皮を餌にして養殖した「みかん鯛」を売り出し中。ほのかにみかんが香り、わるくない。ま、それくらいに天然鯛は希少となりつつあるのだ。桜の頃に天然の桜鯛に出会えたら、心して味わうべきだろう。
競り人の長靴赤し桜鯛 千恵子
●俳句雑誌『俳壇』や俳句結社の会員誌『繪硝子』で連載した「旬の菜事記」をホームページで再開しました。
なお、今までに発表した文章は『食べる俳句』『おいしい俳句』(ともに本阿弥書店)として刊行しています。ぜひご覧ください。
●文中で引用の俳句は作者の表記に準じました。
●ここまでお読みくださり、ありがとうございました。随時、掲載してまいります。お便りをお待ちしています。
俳句エッセー『おいしい俳句』を上梓したことは、すでに皆様にご報告していますが、この本を読んでくれた白井千賀子さんから、うれしい絵手紙をいただきました。
わたしの俳句のなかから、その時季にぴったりの句を選び、素敵な絵を添えて、世界で一枚だけの絵手紙をつくってくださったのです。
白井さんは学生時代からの友人。可愛くて、あたたかい絵を見るたびに、人の“こころ”のあたたかさに、じんっとなります。
仕事をしてきてよかった! 俳句をつくっていてよかった!
友達がいてよかった!
千賀子さん、どうもありがとうございました!
アスパラの滴り甘し朝の畑 千恵子
北越の水と光や水菜生る 千恵子
富士背負って桜えび干す翁かな 千恵子
玉葱の野面いちめん土香る 千恵子
醤油豆ゆで蚕豆や四国道 千恵子
ほんとうにうれしい絵手紙でした!
今月から、わたしのライフワーク「郷土料理」のとっておき情報を連載します。
どうぞご覧になってください。
きょうの郷土料理(1)あく巻き(鹿児島県)
まもなく端午の節句、子供の日だが、世の中よろず自粛中の今年は両親も祖父母もどう祝おうかと、きっとお悩みのことだろう。でも、こんな状況だからこそ、鯉のぼりを大空に泳がせ、鍾馗さまや金太郎人形を飾り、ちまきや柏餅をどんと用意していただきたい。そうすることで、子供も大人も、五体に五月の清新な風が吹きわたり、元気になれる。たとえ別々に暮らしていても、同時刻に同じものを食べようじゃありませんか。オンライン節句祝いもいいだろう。とにかく“共食”は気持ちを一つにする。
五月の節句菓子といえば、なにはさておき柏餅とちまき。でも、お国ぶりはさまざまで、たとえば鹿児島では、柏餅の代わりに「かからん団子」、ちまきは「あく巻き」のことなどと、独自の世界がある。なお、「薩摩」と呼んだほうがこれらの菓子には似合うので、以下は鹿児島を薩摩と言い換えることにする。
かからん団子は、串刺しの団子ではなくて草餅だ。しかも、柏の葉の代わりに山帰来(サンキライ。またの名はサルトリイバラ)の若葉で挟む。この葉っぱは可愛いハート形をしている。これで包むと殺菌作用が働き、日保ちすることから、「病にかからん」を洒落て、かからん団子となったらしい。
一方のあく巻きは、灰汁巻きという漢字すべてを言いあらわしている。灰汁は「あく」と読み、木灰に熱湯をかけて抽出したアルカリ性の液体で、黄ばんだ色をしていて、硫黄のような匂いがする。かつてはこんにゃくや豆腐の凝固材として活用されていたが、化学製品が出現してからは幻の存在になりつつある。
ところが、薩摩では端午の節句が近づくと大いに活躍する。糯米(もちごめ)を灰汁に一晩浸けてから、孟宗竹の皮で包み、竹皮の縁を裂いた紐でしっかり縛るのだ。これを庭先に運び、灰汁を満たした釜に入れて薪の火で煮る。やがてアルカリの作用で糯米がふくれてくっ付き合い、もちもちねっとりぷるんと粘る餅もどきの郷土菓子が出来上がる。竹皮をそっとはがすと、灰汁の作用で糯米はきれいな琥珀色に染まっている。
食べるときは切り分けるが、包丁だと刃に粘り付くので、タコ糸などで切るのが薩摩流。節句菓子だけあって、子供が喜ぶようにきな粉と砂糖(黒砂糖または白砂糖)をまぶしたたり、黒蜜、芋蜜、蜂蜜などの甘味でいただくことが多いようだ。
ただ、かつては大人向けの辛口味だったようだ。現代でもお年寄りは醤油を付けて食べるし、わさび醤油に限るという人もいる。──他所者であるわたしには不可解だったが、あく巻きの発祥を知って納得した。元来は薩摩の国主・島津家の兵糧として利用され、西南戦争では西郷軍がこれを携えて進軍したというのだ。それで、その道筋だった熊本へも伝播したそうな。
そういえば、薩摩藩の支藩で現代もなお薩摩文化の風が根強い宮崎県都城では、昭和初期から昭和十年頃までは、端午の節句に「おろおろ」という戦陣遊びをする習慣があった。
おろおろとは、野城とか山城の意味で、7~14歳の男児たちが山に陣地を築き、両軍に分かれて、シンボルの飾り物を取り合う野遊びで、勝負がついた後は、女子たちが家から調達してきたあく巻きやかからん団子をみなで仲よく食べたという。西郷さんの進軍の様子を模したともいわれ、確かに、英雄・西郷どんを崇拝する薩摩の子供が考えそうな遊びである。
話を戻す。あく巻きは常温でも日保ちし、万一、黴びてもその黴を削って食べられる。わたしは、あく巻きの黴は体に悪さをしないと断言する老人に会ったことがあるくらいだ。
また、あく巻きは作り置きしを茹で直して熱々を食べるのもいいが、薩摩人は冷めたまま口にするのが普通で、これはこれでなかなかいける味だ。ただし温冷どちらにしろ木灰特有の匂いと味なので、ひと癖あるのは確か。味覚が発達していない子供が好むのかどうか……。
わたしの推論だが──日本の端午の節句は武士階級が男児教育のために設けた行事だから、戦陣食のあく巻きを供えるようになったのではないか。節句が広く普及して男子の成長祝いに転じるにしたがって、子供向けに甘くして食べる工夫がされ、現代に至ったと思われる。
そうそう、あく巻きの形だが、竹皮を横に広げて糯米を包む長方体がスタンダード。だが、昨年は錦江湾沿いに指宿、山川へ向かう国道沿いで、あく巻きのバリエーションに遭遇した。石油基地で知られる喜入(きいれ)でのことだ。
「てづくりあく巻き」の看板にビビッときて立ち寄ったら、地元主婦の久津輪美枝子さんが一人で営むあく巻き専門工房だった。その製品が実に楽しい。伝統どおりに竹皮で包んで薪火の竈で煮るのだが、このときに鰹節産地・山川で鰹を燻す薪の灰からとった木灰抽出液で煮るなど本格仕様なのだ。風味は、久津輪さんの人柄がしのばれる温和なおいしさだが、形はかっちりした「つの(角)巻き」だ。わかりやすくいえば、文鎮サイズの三角錐なのだ。
久津輪さんは「この辺でも核家族が多くなったので、一人で食べきれるサイズがちょうどいいんです」とにっこり。確かに内容量が一個110グラムだから使い勝手がいい。
頬ばると、上の歯の圧で地盤沈下し、それを下の歯が受け止め、山と田が合わさったような風味が口一杯に広がった。そういえばこれは、ふるさとの山の竹叢の孟宗の皮で、ふるさとの田の神(薩摩ではタノカンサァーといい、畦の脇にお地蔵さんのようなかわいい石像があり、信仰されている)に守られながら育った糯米を、これまたふるさとの樹木の灰の汁で煮た食べものなのである。
そのうえ、彼女のつの巻きは竹皮包みをさらに真空パックしてあり、一回分のきな粉まで付いている。東京へ持ち帰ってからも冷蔵庫でかなり保ったし、なにより黴がこないのがうれしい。醤油やきな粉を付けて食べながら思い出したのは、山形や新潟など各地に笹の葉を用いる笹巻きや三角ちまきがあること。新潟の三条市の山間部では庄内の山伏が伝えたという話も聞いた。
ともあれ、笹の葉包みの山形の笹巻きや新潟の三角ちまきも、精気あふれる若い竹皮や葉を使っている。だからこそ、男児の成長を祈る端午の節句にふさわしい行事菓子になっているのだ。もちろん、最初にふれたかからん団子も山帰来の若葉が用いられている。
(トメ)