俳句エッセー「続々・旬の菜事記」⑵桜鯛(さくらだい)
続々旬の菜事記(2)
桜鯛
コンビニでビールコーナーの扉を開いたら、エビスの恵比寿さまと眼が合った。キリンの麒麟も吉兆の象徴だけど、食い気一方のわたしは──ましてコロナ巣ごもり中の今だから、大きな鯛を抱えた恵比寿さまに断然、軍配を上げる。だいいちこの時季の鯛は色、姿、味の三拍子揃った桜鯛。春の季語として俳人たちが縦横に活用しているのはもちろんである。
それだけに、大相撲五月場所(残念!今年は中止!)の優勝力士が必ず持つ鯛は他の場所のそれに勝る。優勝だけでなく昇進にも鯛は付き物で、つい先日、大関になった朝乃山関が手にしていた鯛は、まごうことなき桜鯛。思わずテレビににじり寄ったほどに見事だった。
愛と正義の口上凛と桜鯛 倉橋 廣
倉橋さんの句は朝乃山が昇進で誓った文言を詠み込んだもの。愛と正義という大きな世界を受け止め、句として堂々と成立しているのは下の五文字に鯛、それも桜鯛を据えているからこそ。他の魚では到底真似できない技である。
ちなみに鯛と名乗る魚は世に200以上もある。しかしスズキ目タイ科に属するのは真鯛、黒鯛、血鯛などわずかなうえ、ただ鯛といえば真鯛を指すのが世の習い。桜鯛も真鯛の季節限定の異名だし、花見鯛も同義語である。補足だが、産卵を終えて体力回復のためもりもり食べて秋を迎えた鯛もうまく、名付けて紅葉鯛という。産地では認知された呼称だが、季語にはなっていないようだ。
さて、桜鯛の呼称は鯛の生態に拠る。産卵が近づくと、鯛はお腹の子のために餌をよく食べ、脂がのり、うま味が高まる。また、ホルモンの作用で体の色も赤みが増す。それがちょうど桜どきだから桜鯛になったのだ。
その様子がとりわけ著しいのが瀬戸内海で、産卵のために集まった群れは水面を押し上げ、あたかも小島のように見えることもあった。この現象が歳時記にある魚島で、鰆などの場合もあるらしいが、桜鯛がもっともふさわしい。
浮鯛も桜鯛がらみの季語。産卵で海面に上がってくると水温変化により鯛の浮き袋が膨れ、おのずと海面に浮上してしまう。その様をずばり表現したのが浮鯛なのだが、天然鯛が減っている現代では、魚島とともに漁師といえどもなかなか眼にできない光景のようである。
乗込鯛も春の季語。魚が産卵のために群れ集まることを乗っ込みというのに倣い、乗込鯛というのだ。付け加えると、鯛網も春の季語になっている。
桜鯛瀬戸海流に峡いくつ 鷹羽狩行
瀬戸内海ほど桜鯛の句に似合うところはない。東の淡路島から西の周防大島周辺まで大小の島が点在し、陸との間にたくさんの海峡がある。そして海流が渦巻く海峡では、鯛の運動量が多くなるために、ほどよくシェイプアップされて味がいい。そのことを鷹羽さんの句は的確にとらえている。
桜鯛明石大門の色変へる 天野麦秋子
淡路島は明石海峡、鳴門海峡の二つの海峡をかかえていて、どちらも甲乙つけがたい逸品鯛の産地。とくに明石海峡は鯛で名高い水揚げ港が多々ある。ご紹介しよう。
まず明石海峡大橋で結ばれた対岸、神戸・垂水港や明石港に揚がるのは“明石鯛”として知られる。かたや淡路島側には、橋のたもとに岩屋港があり、ここの鯛は“岩屋鯛”と呼ばれて大阪京都の料亭では別格扱いの美味な鯛とされている。
歴史的にも淡路島は鯛と深い縁がある。鯛の記述は『古事記』の海幸彦・山幸彦の話にあるが、同書の国生み神話も鯛に関わっている。こちらの話は、天から降り立ったイザナギノミコト、イザナミノミコトがまず淡路島を生んだことに始まる。誕生した第一子が蛭子神だが、不幸にもこの子は流されてしまい、明石海峡を渡って“西宮のえべっさん”こと西宮神社に遷座したというのだ。
やがて蛭子神は七福神の恵比寿さまに転生するのだが、そのお姿といえば、鯛と釣り竿を持って、にこにこの顔の恵比寿顔。つまり、故郷の淡路島で釣った鯛とそのときの釣り竿と解釈すれば、すんなり腑に落ちる。実際、淡路島には蛭子神を祀った岩屋神社や、イザナギノミコトの幽宮(かくりのみや)である伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)などがあって、島民の信仰が篤い。
あけぼのや糶待つ籠の桜鯛 杉崎月香
さて、明石海峡の鯛はなぜうまいのだろうか。第一は立地。海峡の潮流はまるで大河のように滔々と流れ、大潮のときは時速十三キロにもなる。そんな潮に揉まれるので、海底は岩礁、小石、砂地が入り組んでいる。そのため鯛には棲みやすいし、小海老などが多いから餌に困らない。その結果、体に脂がのる。また急流を泳ぐため引き締まっている。
そんな海峡で岩屋港の漁師は網を張る。船は五トンぐらいの小形船だが、舳先に仏壇のような豪華な飾りを施すのが流儀。金銀紅などの彩色をした彫刻を嵌め込んである。トラック野郎のデコトラの漁船版といったニュアンスで、日本各地の漁港を見てきたわたしもびっくり。さすが国生み神話の島にして、鯛がシンボルの恵比寿さまの故郷である。
船には漁師が一人か二人乗り込み、建網、五智網、底引き網を使い分ける。それぞれ、鯛が首を突っ込む、囲い込む、海底を引いて追い込むといった漁法である。
乗せてもらった日は底引き網で、船上に引き揚げた網の中には目の下一尺ほどの鯛十尾ほど。漁師はうろこ一枚もはがないないように丁寧に網からはずすと、肛門から針を刺して腹の空気を抜いた。海から揚げたときは気圧変化で浮き袋が膨らんでいるため、手当てが欠かせないのだ。この場面に遭遇し、わたしは浮鯛という季語を初めて実感したのである。
なお、漁師が言うには、「肩が張り、尾の付け根まで太い。眼は青いアイシャドウを塗ったようで、ぱっちり。これが岩屋鯛の特徴。すなわち、うまい鯛ということさ」とのこと。あらためてまじまじと鯛を見直したら、ほんとに眼がブルーに縁取られていて、体は漁師の言う通り全体に太かった。
濡れ笹に七彩あまる桜鯛 能村登四郎
競りは昼からで、木箱のなかで跳ねている鯛を囲んで仲買人たちが値を付け、競り落とすやいなや、若い衆が生け簀付きトラックで運び出す。中には競り場の後ろで一匹ずつ活け締めにする仲卸の魚屋もいる。
活け締めとは、頭に手鉤を打ち込んで即死させ、さらに鉄線を鯛の脊髄に差し込んで絶命させること。こうすると死後硬直が遅れて活きた状態が続き、十から十五時間後にはうま味の源のアミノ酸が増えてきて、身がほどよくやわらぐ。この状態のときにちょうど京都の料理屋に届けることを生業にする魚屋がいるぐらいで、鯛が評判の京阪の料理人は必ずこの手の腕利きの魚屋と契約している。
桜鯛かなしき眼玉くはれけり 川端茅舎
こまごまと白き歯並や桜鯛 川端茅舎
ただ、鯛っ食いたちの嗜好はさまざまだ。刺身の場合、食いしん坊は熟成されて味わいが増し、身がやわらかくなったものを好む傾向があり、わたしその一人。ところが、産地では鮮度第一で、こりこりした食感のものを提供することが多いので困ることがある。
でも、淡路島では悩まなかった。
「脂がしっかりのり、身が太った鯛しか仕入れないので、熟成前でも大丈夫」
と、胸を張る店が岩屋港脇にあったのだ。
お造りを注文したら期待にたがわずだった。飴色がかった色味といい、上品な甘味といい、みずみずしい口当たりといい、まことお見事な味。漁師だけでなく、腕利きの仲買人、板前の三つそれぞれのレベルが高いとは、やはり鯛の老舗産地だけのことはある。
小石を敷いた焙烙鍋(ほうろくなべ)で鯛を蒸し焼きにした宝楽焼きや、お造りに用いた残りの鯛の兜とアラを用いる土鍋ご飯もいい味で、ことに真子が弾けて醤油味のご飯にからんだうまさといったら、幸福感の極み。
鯛は兜に限っても魚の王様で、身がたっぷり付いていて、目玉まで極上の味。とろとろゼリーをしゃぶり尽くしてこそ真の鯛好きだとわたしは信じている。また、鯛には胸近くに鯛の形そっくりで「鯛の鯛」と呼ばれる骨があって、縁起物として好まれる。わたしもついつい探してしまう。
鯛の鯛ことに桜のめでたしや 千恵子
鯛はどこでも愛され、鯛の煮付けを茹でそうめんに載せる鯛そうめん、ご飯に炊き込んだ鯛めしなど、各地に名物が数々ある。鯛めしはとりわけ愛媛県民の好物で、地域別に二種類もある。瀬戸内に面した北条などの中予地方は炊き込みタイプの鯛めしなのだが、宇和島を中心とした南予ではそぎ切りを卵黄入り醤油だれに漬けてからあつあつご飯に載せ、みかん皮のみじん切り、海苔、ねぎなどを薬味にしてかっこむ。
また、宇和島ではアラ、骨も無駄にしない。鯛めしに使った残りを焼いてから身をこそげ、すり鉢であたり、麦味噌を加えてすり混ぜる。次にすり鉢ごと裏返して直火でやや焦がす。一方で骨を煮立ててだしをとっておき、先ほどのすり鉢の中に加えてすりのばし、醤油、みりんで味を調える。このすり身汁をご飯にかけ、きゅうりの薄切り、ねぎ、みかんの皮、青じそなどを散らしてすすりこむ。これは「伊予さつま」という郷土料理で、ここまで鯛をきっちり使いきり、五体に取り込むレシピをわたしは知らない。鯛も本望だろう。
なお、近年、宇和島ではみかんの皮を餌にして養殖した「みかん鯛」を売り出し中。ほのかにみかんが香り、わるくない。ま、それくらいに天然鯛は希少となりつつあるのだ。桜の頃に天然の桜鯛に出会えたら、心して味わうべきだろう。
競り人の長靴赤し桜鯛 千恵子
●俳句雑誌『俳壇』や俳句結社の会員誌『繪硝子』で連載した「旬の菜事記」をホームページで再開しました。
なお、今までに発表した文章は『食べる俳句』『おいしい俳句』(ともに本阿弥書店)として刊行しています。ぜひご覧ください。
●文中で引用の俳句は作者の表記に準じました。
●ここまでお読みくださり、ありがとうございました。随時、掲載してまいります。お便りをお待ちしています。
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