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新連載! きょうの郷土料理( 1)あく巻き(鹿児島県)

2020 年 4 月 28 日 4 Comments

今月から、わたしのライフワーク「郷土料理」のとっておき情報を連載します。
どうぞご覧になってください。

きょうの郷土料理(1)あく巻き(鹿児島県)

 まもなく端午の節句、子供の日だが、世の中よろず自粛中の今年は両親も祖父母もどう祝おうかと、きっとお悩みのことだろう。でも、こんな状況だからこそ、鯉のぼりを大空に泳がせ、鍾馗さまや金太郎人形を飾り、ちまきや柏餅をどんと用意していただきたい。そうすることで、子供も大人も、五体に五月の清新な風が吹きわたり、元気になれる。たとえ別々に暮らしていても、同時刻に同じものを食べようじゃありませんか。オンライン節句祝いもいいだろう。とにかく“共食”は気持ちを一つにする。
 五月の節句菓子といえば、なにはさておき柏餅とちまき。でも、お国ぶりはさまざまで、たとえば鹿児島では、柏餅の代わりに「かからん団子」、ちまきは「あく巻き」のことなどと、独自の世界がある。なお、「薩摩」と呼んだほうがこれらの菓子には似合うので、以下は鹿児島を薩摩と言い換えることにする。
 かからん団子は、串刺しの団子ではなくて草餅だ。しかも、柏の葉の代わりに山帰来(サンキライ。またの名はサルトリイバラ)の若葉で挟む。この葉っぱは可愛いハート形をしている。これで包むと殺菌作用が働き、日保ちすることから、「病にかからん」を洒落て、かからん団子となったらしい。
 一方のあく巻きは、灰汁巻きという漢字すべてを言いあらわしている。灰汁は「あく」と読み、木灰に熱湯をかけて抽出したアルカリ性の液体で、黄ばんだ色をしていて、硫黄のような匂いがする。かつてはこんにゃくや豆腐の凝固材として活用されていたが、化学製品が出現してからは幻の存在になりつつある。
 ところが、薩摩では端午の節句が近づくと大いに活躍する。糯米(もちごめ)を灰汁に一晩浸けてから、孟宗竹の皮で包み、竹皮の縁を裂いた紐でしっかり縛るのだ。これを庭先に運び、灰汁を満たした釜に入れて薪の火で煮る。やがてアルカリの作用で糯米がふくれてくっ付き合い、もちもちねっとりぷるんと粘る餅もどきの郷土菓子が出来上がる。竹皮をそっとはがすと、灰汁の作用で糯米はきれいな琥珀色に染まっている。
 食べるときは切り分けるが、包丁だと刃に粘り付くので、タコ糸などで切るのが薩摩流。節句菓子だけあって、子供が喜ぶようにきな粉と砂糖(黒砂糖または白砂糖)をまぶしたたり、黒蜜、芋蜜、蜂蜜などの甘味でいただくことが多いようだ。
 ただ、かつては大人向けの辛口味だったようだ。現代でもお年寄りは醤油を付けて食べるし、わさび醤油に限るという人もいる。──他所者であるわたしには不可解だったが、あく巻きの発祥を知って納得した。元来は薩摩の国主・島津家の兵糧として利用され、西南戦争では西郷軍がこれを携えて進軍したというのだ。それで、その道筋だった熊本へも伝播したそうな。
 そういえば、薩摩藩の支藩で現代もなお薩摩文化の風が根強い宮崎県都城では、昭和初期から昭和十年頃までは、端午の節句に「おろおろ」という戦陣遊びをする習慣があった。
 おろおろとは、野城とか山城の意味で、7~14歳の男児たちが山に陣地を築き、両軍に分かれて、シンボルの飾り物を取り合う野遊びで、勝負がついた後は、女子たちが家から調達してきたあく巻きやかからん団子をみなで仲よく食べたという。西郷さんの進軍の様子を模したともいわれ、確かに、英雄・西郷どんを崇拝する薩摩の子供が考えそうな遊びである。
 話を戻す。あく巻きは常温でも日保ちし、万一、黴びてもその黴を削って食べられる。わたしは、あく巻きの黴は体に悪さをしないと断言する老人に会ったことがあるくらいだ。
 また、あく巻きは作り置きしを茹で直して熱々を食べるのもいいが、薩摩人は冷めたまま口にするのが普通で、これはこれでなかなかいける味だ。ただし温冷どちらにしろ木灰特有の匂いと味なので、ひと癖あるのは確か。味覚が発達していない子供が好むのかどうか……。
 わたしの推論だが──日本の端午の節句は武士階級が男児教育のために設けた行事だから、戦陣食のあく巻きを供えるようになったのではないか。節句が広く普及して男子の成長祝いに転じるにしたがって、子供向けに甘くして食べる工夫がされ、現代に至ったと思われる。
 そうそう、あく巻きの形だが、竹皮を横に広げて糯米を包む長方体がスタンダード。だが、昨年は錦江湾沿いに指宿、山川へ向かう国道沿いで、あく巻きのバリエーションに遭遇した。石油基地で知られる喜入(きいれ)でのことだ。
「てづくりあく巻き」の看板にビビッときて立ち寄ったら、地元主婦の久津輪美枝子さんが一人で営むあく巻き専門工房だった。その製品が実に楽しい。伝統どおりに竹皮で包んで薪火の竈で煮るのだが、このときに鰹節産地・山川で鰹を燻す薪の灰からとった木灰抽出液で煮るなど本格仕様なのだ。風味は、久津輪さんの人柄がしのばれる温和なおいしさだが、形はかっちりした「つの(角)巻き」だ。わかりやすくいえば、文鎮サイズの三角錐なのだ。
 久津輪さんは「この辺でも核家族が多くなったので、一人で食べきれるサイズがちょうどいいんです」とにっこり。確かに内容量が一個110グラムだから使い勝手がいい。
 頬ばると、上の歯の圧で地盤沈下し、それを下の歯が受け止め、山と田が合わさったような風味が口一杯に広がった。そういえばこれは、ふるさとの山の竹叢の孟宗の皮で、ふるさとの田の神(薩摩ではタノカンサァーといい、畦の脇にお地蔵さんのようなかわいい石像があり、信仰されている)に守られながら育った糯米を、これまたふるさとの樹木の灰の汁で煮た食べものなのである。
 そのうえ、彼女のつの巻きは竹皮包みをさらに真空パックしてあり、一回分のきな粉まで付いている。東京へ持ち帰ってからも冷蔵庫でかなり保ったし、なにより黴がこないのがうれしい。醤油やきな粉を付けて食べながら思い出したのは、山形や新潟など各地に笹の葉を用いる笹巻きや三角ちまきがあること。新潟の三条市の山間部では庄内の山伏が伝えたという話も聞いた。
 ともあれ、笹の葉包みの山形の笹巻きや新潟の三角ちまきも、精気あふれる若い竹皮や葉を使っている。だからこそ、男児の成長を祈る端午の節句にふさわしい行事菓子になっているのだ。もちろん、最初にふれたかからん団子も山帰来の若葉が用いられている。
(トメ)

4 Comments »

  • 鈴木朝子 said:

    あく巻きはかつて自分の利用教室で作ってみました。生徒さんの1人が 亡くなった母親にも食べさせてやりたかったて言ってました。時々イオン店にて九州展の開催があり見つけて購入します。あの食感はたまらないですね。九州の歴史ある郷土料理 大好きです。

  • 関根里香 said:

    東京の出身で、しかも鹿児島へ行ったことがないので「かからん団子」「あく巻き」という物を初めて知りました。
    地域地域でいろいろ歴史があるように、同じ端午の節句でも頂くものが違うのですね。
    「あく巻き」はお味があまり想像できないので、今年は自粛で無理ですがいつか鹿児島へ行き、薩摩の「あく巻き」を食してみたくなりました。

  • 鈴木朝子 said:

    端午の節句 5月に入りました。あく巻きを1人で食べるサイズの つの巻 食べた経験の無い方も「頬張ると上の歯の圧で地盤沈下し それを下の歯が受け止め 山と田が合わさったような風味」と読めば想像が膨らむでしょう。私は2回ほど食べた事がありますが 薩摩の風を感じました。

  • 久津輪美枝子 said:

    こんばんは❗️
    やっとメールアドレス入りました
    ホームページでのツノマキのコメントありがとうございました
    鹿児島では端午の節句には庭先に釜を据えて4時間位かけてアクマキをつく っていました
    私は喜入に嫁いで義母に作り方を教えてもらい現在仕事としてあくまきツノマキを楽しんでつくっております
    お客様から 美味しかったです の一声が元気の基となっています
    先生とのご縁に感謝して 皆様と繋がっていけたら幸せです ありがとうございます

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