俳句エッセー〔3〕 餅
のびーる、ねばーる、もっちり。餅の魅力のおおもとは、素材のもち米のおかげだが、この食感がご先祖さまは大いに気に入ったようで、大陸から伝播して以来、ずっと暮らしに取り入れてきた。もっとも、米そのものがハレの日だけに口にできる食べものだったから、うるち米よりさらに贅沢なもち米はことさらありがたいものだった。
その証拠に、子供が誕生したとか、家を建てたとか、嫁をもらったなどなど、この国では祝い事があればすぐに餅をつく。餅は人生の節目に寄り添う食べものなのである。人生最初の餅との出会いは、今も米どころで行われている力餅の風習。一歳児に一升餅などと称した大きな餅を踏ませたり、背負って這い這いする頑張りぶりに声援をおくったりして、すこやかな成長を祈るのである。
建前の祝いに餅をまくのも楽しい。わたしはわが家のアルバムの古写真で自分の姿を目にしただけなのに、祖父に抱かれて屋根の上からから元気よく餅をまいた記憶がくっきりとインプットされている。餅が発するパワーが写真に乗り移り、わたしの心に刷り込まれたのだろうか。
餅には霊力があるとされ、神社や寺の儀式にも欠かせない。その関連でいえば、福井県鯖江市河和田で取材したオコナイの餅まきは、なんとも迫力があった。
オコナイは京都などの大寺院の修正会や修二会が起こりといわれ、西日本を主にした各地に伝播して、五穀豊饒と地域安全を祈る民俗行事となった。滋賀県の湖北や甲賀では乗用車のタイヤほどもある特大鏡餅や彩りうるわしい餅花などを供えるが、福井の河和田ではそれらは簡略化され、餅まきをメインにした行事になっている。
河和田塗で知られる河和田は古来から漆器づくりの盛んな土地だが、オコナイのある一月中旬は雪に封じ込められる。集落の神社に向かうと、物売りの屋台まで出ていて、なかなかの賑わい。社殿は石段を上った高台にあり、裃をつけた厄年の男性がそこから餅を投げるのである。
村人たちが境内を埋めつくすと、餅まきが始まった。平べったい丸餅でかなり大きく、ピザパイほどもある。取り損ねた餅は泥が付いたり割れたりするが、そんなことは気にもせず、人々は我先に拾い上げる。と、隣に立っていたおばあさんがしゃがみ込んだ。あわてて様子を見ると、餅が額に命中したらしく顔面血まみれ。それでもご当人は餅を抱きしめ、にこにこ顔なのだ。
俳句では餅は冬の季語とされる。東日本の切り餅、西日本の丸餅と形が異なり、炭から電気、ガスへと熱源は変われど、餅を焼くときの厳粛な気持ちは古今東西不変である。欲張りなわたしは、正月は丸と四角の両方を用意する。食感が微妙に異なり、どちらもおいしいからだ。
なお、歳時記には、ひび割れたものを水に浸す水餅、寒中の寒餅、餅を凍結させる氷餅や凍(し)み餅もある。これらは正月の餅を残さず食べる知恵から始まっている。
かき餅、あられの類も餅に由来する食べもので、固くなったかけらを干して炭火で炙り、醤油や塩で味付けしたのが起こりである。それだけに、農家が副業で始めた店では、原料のもち米から自家栽培という例が多く、ひと味まさる。たとえば店主が「じつは、田んぼにいる時間のほうが長い」と笑う滋賀県大津市の八荒堂。香ばしくてさくさくだから、ぽりぽりが止まらなくて困る。
わたしは民家の建て込んだ下町育ちなので、臼と杵を持ち出し、湯気もうもうと米を蒸して餅をつく情景にずっとあこがれていた。それが思いがけなく実現したのは、家から独立し、部屋の改装をしたとき。大工の棟梁と知り合い、暮れの餅つき会に招かれたのだ。へっぴり腰ながら杵も持たせてもらった。そしてつきたてを大根おろしやあんこでほおばるうれしさ、楽しさ。お客たちがひと通り満腹したあとで、さらにひと臼ふた臼ついて、正月の餅に仕上げることを初めて知った。
最近は町内会主催の餅つきが集会所で開かれるので、糯米を蒸かす白い湯気やぺったんぺったんの音を楽しめる。おろし餅やあんころ餅も分けてもらえる。その行列に十代、二十代の姿も多いから、餅つきはこれからも年中行事として続くだろう。いえ、そうあってほしい。
餅つきの一音響くビルの間 千恵子
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