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俳句エッセー〔1〕クリスマスケーキ

2016 年 12 月 5 日 No Comment

img_0013 ハロウィンの喧騒が過ぎたと思ったら、あっというまにクリスマスシーズンの到来。この国は、舶来というだけで大喜びで受け入れてしまう。わたしもその一人であって、キリスト教徒ではまったくないけれど、十二月二十四日には、イエスキリストの生誕日にはケーキを一切れでも食べないと落ち着かない。
 クリスマスイブにはケーキ丸ごと一個の大包みを抱えて帰らないと、一家の長としてのかっこがつかない──という風潮が生まれたのは、昭和三十年代のこと。第二次世界大戦後、洋菓子材料が入手できなかった頃、ケーキ職人たちはやむなく進駐軍の将校クラブやPXで働いたものだが、そこで目にしたのは、あでやかな七面鳥の丸焼きとクリスマスのデコレーションケーキ。
 まあ、目を見張ったにちがいない。そして、日本が復興し始めると、彼らは町場に戻って店を再開したり新規開業したが、そのうち何人かのアイディアマンが、おそらくは同時発生的に、教会のミサやサンタクロース等をロマンティックな夢いっぱいのイメージとして強調し、きらきらしたケーキをクリスマスの必須アイテムとして売り込んだ。店頭にはツリーを飾り、ケーキには「メリークリスマス」のカードリース、砂糖菓子のサンタなどをかわいらしくあしらったところ、これが大当たり。
 高度経済成長期にバリバリのサラリーマンだった男性にうかがったら、あの時代はクラブやキャバレーでケーキのお土産付きパーティ券を売り出したもので、クリスマスケーキを抱えてのご帰館はそれが始まりではないかとのこと。あれあれである。
 クリスマスケーキそのものも変遷してきた。当初はマーガリン混じりのバタークリームもどきで絞り出したピンクや緑の薔薇がデコレーションの中心だったが、良質の生クリームが出回りだすと、ホイップクリームと苺のコンビが子供たちの人気を独占した。おもちゃやマフラーなどプレゼントを買い込み、最後にケーキの箱を加えて大荷物で帰宅するお父さんの姿が目にも浮かんでくるが、そんな光景も最近は少なくなった。すべてネット通販なのだろうか。
 話をケーキにもどすと、昭和四十年代からは薪の形をしたブッシュドノエルが流行した。フランス語では「クリスマスの薪」の意味。その頃から欧米の一流シェフやパティシェが日本で開店するようになり、本場の本物を広めたのだ。フランス菓子では六本木の「ルコント」が先駆けで、クリスマスにはロールケーキにチョコレートクリームを塗り、フォークの先で木目を付けて、木の実を飾った“薪”が大流行りした。従来の丸形ケーキとは一味違う本場風デザインが若い女性の心を踊らせたのである。
して現代は、クリスマスシュトレンがクリスマスケーキ界の先頭を行く。ドイツ発祥のイースト生地の焼き菓子だ。洋酒で漬け込んだ木の実やドライフルーツ、香辛料がどっさり入った生地を香ばしく焼き、粉砂糖をまぶして純白に仕上げ、透明セロファンできっちり包んである。時間をおくほど味が熟成するケーキなので、十一月のうちに買って、クリスマスイブまでを指折り数えながら待つのも楽しみのうちだ。
 このケーキは、産着にくるまれたキリストの姿をかたどったものといわれ、ドイツではシュトレンのコンクールがあって、優勝者は洋菓子マイスターの中でも最高の栄誉を得られる。広島の廿日市市には、コンクールで金メダルをとった日本人の職人が開いたドイツ菓子店「コンディトライ・フェルダーシェフ」があり、わたしは毎年ここのシュトレンを欠かさない。なお、ドイツではクッキー生地で組み立てるヘキセンハウスというお菓子の家もクリスマス名物だ。
 一方では、手作りのクリスマスケーキにまさるものはないとも思う。今年は、スポンジケーキ、苺、生クリームだけのシンプルなショートケーキでつくりたい。もっとも、苺はあまおう、生クリームは自然放牧牛ミルク製、スポンジ生地の卵や牛乳にも大いにこだわり、砂糖は和三盆糖で……。あれあれ、市販のケーキより高くつきそうだ。

クリスマスケーキ裸眼にまぶし飴細工  千恵子

 

 

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